朝の空気は、思っていたよりずっと冷たかった。
季節は少しずつ冬に向かっている。それでも、白崎直人の額にはじんわりと汗がにじんでいた。
今日は、初出勤から3日目。
そして、初めて「誰かとちゃんと仕事で繋がる」日だった。
彼は昨晩、ぎこちない手つきで弁当を作った。
冷凍食品に頼ったとはいえ、自分で選んだおかずを詰めただけで、気持ちは少しだけ前向きだった。
「……よし」
鏡の前でネクタイを締める。
下手くそな結び目。でも、それは“昨日までの自分”ではあり得なかった行為。
——抹消まで、あと◯◯日。
あの数字のカウントダウンは、まだ直人の中で鳴り続けている。
でも今は、焦燥感ではなく、“今日をこなす”意志に近づいていた。
2.社内に溶け込む勇気
出勤すると、昨日と同じ顔ぶれがフロアにいた。
席に着き、挨拶を交わす。まだ笑顔は引きつっているが、それでも返事をくれるだけで救われた。
「あ、白崎さん、今日の資料ってコピーお願いできますか?」
20代の女性社員・水谷が声をかけてくれた。
突然の指示に緊張が走る。が、すぐに返す。
「……は、はいっ。コピー室、えっと、何階ですか……?」
「3階だよ。私も今から行くから一緒に行こうか?」
まるで友人のような、その一言。
直人は「お願いします」と小さく笑って返した。
自分の声が震えていないことに驚き、少しだけ誇らしかった。
3.報告・連絡・相談(報連相)
仕事のなかで直人に課された次なるミッションは「報連相」。
簡単なようでいて、直人にとっては最大の難関だった。
「わからないことは聞いてくださいね」
「進捗どうですか?ちょっと上に共有してもいい?」
そのひとつひとつが、自分のなかの壁を壊していった。
「すみません、この部分の意味が……」
「午前中に仕上げられそうです。でもちょっと確認したい点があって……」
声をかける。顔を見る。相手の反応を見る。
緊張の連続。でも、繰り返すたびに少しずつ、何かがほどけていくのを感じていた。
4.お昼休みのテーブル
休憩室の長テーブルに、直人は最初ひとりで座っていた。
弁当を開く。湯気が上がる。
「……わあ、美味しそうですね、それ」
声をかけてきたのは、同じく新入社員の三浦だった。
年は直人より少し下か、同じくらい。表情は明るいが、どこか“無理をしている”ようにも見えた。
「い、いえ……冷食ばかりで……」
「でも、自分で作ったんですよね? 僕、カップ麺ばっかです」
互いの笑い声が交差する。
その会話に、他の同僚も加わった。水谷、三浦、そして昨日はあまり話さなかったベテランの林さん。
孤立していたテーブルが、少しずつ“輪”に変わっていくのがわかった。
5.“君はひとりじゃない”
午後の業務を終え、少し残業をして帰宅。
部屋に戻ると、あのインターホンのランプが点滅していた。
『録画:本日 18:07』
再生ボタンを押すと、NEET-Xの姿がそこにあった。
黒いマント、そして相変わらず仏頂面のような表情。
「直人、見ていたぞ。今日、お前は“報連相”を実行した。
これは、会社という“社会の最小単位”での最大のミッションだ」
「だが、もう一つ重要な変化があった。
それは、お前が“つながることを恐れなかった”ということだ」
画面のNEET-Xが、ふっと口元を緩める。
「次のミッションは、“誰かの役に立てたと感じる瞬間”を見つけること。
お前はもう、“ひとりじゃない”んだ」
直人は、その言葉を何度も頭の中で繰り返した。
そして気づいた。
——自分を変えるために必要だったのは、
自分を許し、他者を受け入れる小さな勇気だったのだと。
【次回予告】
第18話「役に立てた喜び!初めてのありがとう」
誰かの“ありがとう”が、自分を救う。
白崎直人が新たな一歩を踏み出す、感情揺さぶる第18話。