試練は“報連相”から始まる
「仮採用、おめでとうございます」
その言葉を告げられたのは、まだ昨日のことだった。
白崎直人、25歳、元・引きこもり。
わずか数か月前まで、“社会的抹消”の通知書を握りしめて部屋に引きこもっていた彼が、今はオフィスビルのエレベーターを前にしていた。
仮採用という立場。
いつ切られるか分からない不安。
だが、それと同時に「誰かに必要とされる場所」があることが、彼にとっては大きな希望だった。
しかし、現実は甘くない。
初出社の翌日から、直人に課せられたミッションは——
“社会人の基本『報連相』を実践すること” だった。
初ミスと“報告の壁”
「えっと……このExcelファイル、提出は……午前中でしたっけ?」
「え?もう締切過ぎてますよ、直人さん」
同じ部署の先輩社員・滝川(たきがわ)から、やんわりと注意される。
初歩的なミス。
データの確認ミスに、提出の遅れ。
慣れない業務でパニックになっていた直人は、何がわからないのかも分からない状態で、ただPCとにらめっこしていた。
——でも、声をかける勇気が出なかった。
「報告」「連絡」「相談」。
それが社会人の基本であることは、頭ではわかっている。
だが、実践するのは想像以上に難しい。
「こんなこと聞いたら迷惑だろうか」
「また怒られるんじゃないか」
そんな不安ばかりが頭を占拠していた。
クロウの再訪
「黙って抱え込んでも、信頼は得られない」
夕方、帰宅して玄関を開けた瞬間——
あの声が聞こえた。
NEET-X、黒峰クロウ。
かつて直人に「抹消対象通知書」を届けた謎の男であり、今は“導く者”として現れる存在だ。
「報連相は、ただの技術じゃない。君がこの社会で“生きていく”ためのコミュニケーションだ」
クロウの言葉に、直人はうつむく。
「……でも、怖いんです。報告して、もし“できない奴”だと思われたら……」
「できないまま黙っていたら、“信用できない奴”になるだけだ。どちらがマシかは、君が決めることだがな」
重く、鋭い言葉だった。
実践、そして“連絡”の壁
翌朝。
直人は決意して、いつもより少し早く出社した。
提出ミスをしたファイルについて、昨日注意された滝川に話しかける。
「すみません……昨日のファイル、遅れた原因なんですが……」
緊張で声が震える。だが、滝川は笑って答えた。
「大丈夫。言ってくれて助かった。次からは前日に声かけてくれればチェックするからさ」
——たったそれだけのやりとりで、空気が少しだけ軽くなった。
その後、別部署からの依頼を受けていた書類が予定より早く仕上がったことを伝えるべく、メールを送る。
しかし、返信が来ない。
「……あれ、ちゃんと届いてるよな……?」
社内の“連絡文化”は、メールとチャットが混在しており、どれで伝えるのが最適か判断がつかない。
しかも、自分の送ったメールが相手にとって迷惑だったのではないか、と不安になっていく。
チャットで追いかける勇気が出ず、結局、相手に直接声をかけることにした。
「あ、あの……朝メール送ったんですけど……届いてますか?」
「え?……あ、ごめん!迷惑フォルダに入ってたみたい。助かりました!」
直人は、肩の力が抜けるのを感じた。
“相談”することで見えた景色
3日目。
別の案件で、直人は進行がうまくいかず行き詰まっていた。
そこで、意を決して20代の先輩社員・石井に相談した。
「石井さん……この資料の構成、どうすればいいか、少しだけ見てもらえませんか?」
石井は驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔になった。
「おお、直人さんから相談されるなんて初めてかも。いいですよ、見ましょう」
PCを並べて、画面を共有しながら説明を受ける。
その過程で、直人は「相談すること=弱みを見せること」ではなく、「より良い仕事をするための協力」だと気づき始めていた。
「これ、分かってきたら面白いですよね」と石井に言われたとき、初めて少しだけ“仕事”に前向きな感情を持った。
成長の兆しとクロウの評価
金曜日の夜。
帰宅後、また玄関のモニターが点滅していた。
クロウの声が響く。
「報連相、完了したな。小さなことでも、お前の“信用ポイント”は着実に積み上がっている」
画面の中の彼は、いつになく穏やかな口調だった。
「次は“チームで成果を出す”というステージに進む。自分のためではなく、誰かのために働けるようになった時——君は“社会人”と呼ばれる」
録画はそこで切れた。
手元のノートには、今日までのポイントが自動的に更新されていた。
- 報告実践(3pt)
- 連絡成功(3pt)
- 相談実行(4pt)
- 信頼評価アップ(ボーナス+5pt)
合計15ポイント。
「……やってよかった、って思えるのは、初めてかもしれないな」
そう呟く直人の顔には、わずかな自信が浮かんでいた。
次回予告:「“ひとりじゃない”と気づいた日」
誰かに頼ること。
誰かと支え合うこと。
それは、直人にとって新たな世界の入り口だった。
次回、第17話——
「“ひとりじゃない”と気づいた日」
お楽しみに。