08:55 新人二人、任される
朝礼のあと、課長が短く告げた。
「今日から新人の斎藤さんと根本さん、直人くんが段取り係。午前は印字・読取の基礎、午後は出荷フローのトライアル手順、頼むよ」
胸の奥で心臓がひとつ跳ねる。
——任される領域が増える。昨日の“反論を受け止める”を抜けて、今日は“教える”という別の筋肉を使う番だ。
二人はまだ緊張した面持ちで立っていた。
「よろしくお願いします」
声が重なった瞬間、白崎直人は自分の言葉が相手の一日を左右する責任の重さを、はっきり感じた。
かつての自分はニートで、引きこもりで、コミュ障だった。
それでも今日、誰かの先生役を引き受ける。
これは小さな現場の話だけれど、確かに社会問題と正面から向き合う訓練だ。
「まずは全体像からいきましょう。ここでやっている仕事は“出荷という物語”の中の一章です。お二人は印字と読取の橋渡しをする役になります」
ホワイトボードに簡単な図を描く。
「目的 → 流れ → 手順 → 注意点 → 成功基準。今日はこの順でやります。最後に復唱と実演、それから見取り稽古」
二人の目線がすっと上がった。伝わった手応えが、直人の背中を押す。
09:30 “教える”の型をつくる
1)目的(なぜ)
「印字は“読みやすい文字を作る”ではなく、“機械が確実に読むラベルを作る”こと。だから人間の見た目よりバーコードのコントラストが優先」
2)全体像(何を)
「受け取り → 印字 → 乾燥待ち → 貼付 → 読取 → 記録。どの工程も次の人の作業を軽くする視点で考えます」
3)手順(どうやって)
チェックリストを配り、写真付きの簡易手順をなぞる。
「この“圧”メーターが規定の青ゾーンに入っているか、交代直後は必ず確認。昨日のミス、ここが原因でした」
4)注意点(どこで転ぶか)
「忙しくなると乾燥待ちの時間短縮をやりがちですが、5秒削ると事故が5倍になったデータがあります。削らない勇気が品質を守ります」
5)成功基準(ゴール)
「“今日の成功”は事故ゼロだけじゃなく、同じやり方を別日・別人でも再現できること。だから手順書への気づき追記が評価対象です」
説明を区切るたびに二人に問いかける。
「ここまでで不明点、ありますか?」
斎藤が手を挙げる。「乾燥の待ち時間は気温で変えますか?」
「いい質問。温湿度で変えるルールが今はないので、今日は一律10秒。明日の会議で条件式を検討します」
——質問は、理解の証拠だ。
詰まっている箇所が可視化されるほど、チームは強くなる。
10:40 最初のつまずき、時間が押す
実演に入ると、想像以上に時間が押し始めた。
斎藤は慎重で手が止まり、根本は焦って乾燥待ちを短縮しようとする。
(焦らせず、緩めすぎず——バランス)
直人は見取りに切り替え、ミスが出る前の兆候に注目する。
「根本さん、今の貼付、隅の浮きが出てます。吸気の位置を3ミリ手前に。斎藤さん、良い慎重さです。声に出して手順を言いながら進めましょう」
言い方は短く・具体的に・責めない。
しかしラインの時計は冷酷だ。出荷の締め切りまで逆算すると、午前の計画はこのままでは遅延。
直人は報連相の“先回り”に切り替える。
「佐伯さん、午前の教育で20分押しが出そうです。サポート1名を11:30〜12:00だけ借りられますか。午後のトライアルには影響しない見込みです」
即レス。
〈了解。水谷が入る。早めの共有ナイス〉
——助けを呼ぶのは弱さじゃない。遅れる知らせより早めのSOSが信頼を作る。
12:15 昼のふりかえり、1on1
弁当を食べながら、1on1を回す。
「斎藤さん、手順を声に出すの、すごく良かった。午後は“次工程への気配り”をテーマにやります」
「根本さん、速さへの意識が強み。ただ“ルールを守りながら速く”を目指す。速く・安く・うまくのうち、今日はうまくを最優先」
二人の顔色が少し柔らいだ。
直人は自分の反省も口にする。
「僕の説明が長かったです。午後は“見せてから説明”に変えます」
教える人が自分の失敗を先に出すと、場の緊張は緩む。
——学びの速度は、安心の総量に比例する。
13:30 “見せる→やらせる→理由を問う”
午後はフローの要所だけデモし、すぐ実践へ。
「まずは僕が3サイクルやります。次にお二人が3サイクルずつ。最後に“なぜそれをやるのか”を僕に説明してください」
教える順序はVTA(Vision→Trial→Ask Why)。
視覚→試行→理由の順に刻むと定着が速い。
これは自分が“コミュ障”の頃、言葉だけの説明が頭に入らなかった経験から編み出した自己流の型だ。
根本が貼付の体勢を崩す。
直人は止めず、後でフィードバックに回す。
終わってから短く。
「足の開きが狭い。あなたは背が高いから、少し腰を落として広げる。速く安定するよ」
斎藤は逆に確認が多く進みが遅い。
「“迷ったらルール、迷わなければ流れ”で行きましょう。迷わないところまで仕上げの粒度を上げるのが今日のゴールです」
——人はそれぞれ違う。
同じ指導で同じ結果は出ない。個別化が、小さなリーダーの最初の役割だ。
15:10 トレーニングカードを作る
現場の端で、名刺サイズの「トレーニングカード」を作った。
表:今日のキモ3箇条
- 交代直後は圧の青ゾーン確認
- 乾燥待ち10秒は削らない
- 貼付は吸気3mm手前、体勢は肩幅+α
裏:セルフチェック
- 1時間あたり自己評価(◎○△)
- 気づき1行
- 明日の自分へのメモ1行
カードは持ち歩ける手順書だ。
再現性を個人の頭の外に出すことで、属人化を減らす。
二人はカードに小さく字を書き込み始めた。
その横顔を見ながら直人は思う。
——教えるとは、相手の中に**“明日の自分”**を生むこと。
16:40 小さな“うまくいかない”が出た
最後のラウンドで、根本が乾燥待ちを2回、無意識に短縮していた。
焦りではなく癖。本人も気づいていない。
直人は怒らない。代わりに見える化する。
「このタイマーを使いましょう。音がなるまで次に行かない。体が勝手に動く時は、道具で止める」
斎藤は確認が過剰に戻り始めた。
「大丈夫。OKの基準を声に出してから貼れば、確認は1回で済みます」
人を責めず、仕組みで支える。
ベテランの林が横で見ていて、ぽつり。
「仕組みで止めるの、いいな。人の注意力は永遠じゃないからな」
——夕方の疲れた現場に、風穴が空いた気がした。
17:30 10分のふりかえり
日次の10分共有。
今日の学びを3行で出すのがルールだ。
- 実績:教育+実践で締切内完了、事故ゼロ
- 学び:速さより再現性/迷ったらルール、迷わなければ流れ
- 改善:乾燥待ち短縮の癖対策→タイマー導入、体勢のテンプレ写真を手順に追加
佐伯が頷く。
「直人くん、**“仕組みで止める”**良かった。明日の朝礼、カードの話も5分で」
林が短く付け足す。
「うまくいかない理由から先に考えるの、忘れないようにな」
二人の言葉が、現場の空気を**“俺たちのやり方”**に染めていく。
18:07 あのランプは今日も点滅する
インターホンの録画。NEET-X——黒峰クロウが映る。
サングラスの奥で目が笑ったように、ほんの一瞬だけ見えた。
「教えるは、学びの最短距離だ。
人に説明するために、君は自分の言葉を磨いた。
人の癖を直すために、君は仕組みを磨いた」
黒いノートが開く。自動加点が走る。
- 全体像→手順→実演→見取り(8pt)
- 早めのSOSで遅延圧縮(6pt)
- トレーニングカード導入(8pt)
- 仕組みで止める(ボーナス 7pt)
- 10分共有で再現性向上(6pt)
合計:35pt
「小さなリーダーの条件は三つ。
可視化、余白、そして再現性だ。
可視化で現状を写し、余白で相手に考えさせ、再現性で“明日の誰か”を助ける」
クロウは短く結んだ。
「明日は“感情の火”が来る。
仕組みでは消えない火がある。
言い方と居方で、守れ」
映像が消える。
静かな部屋に、直人のペン先が走る音だけが残った。
明日の朝礼メモ、カードのテンプレ、体勢写真の貼付位置。
書くほどに、不安は準備に置き換わっていく。
「……続ける」
次回予告
第24話「感情の火消し!“言い方”と“居方”で守る現場」
クレーム寸前の伝達ミス、苛立つ新人、焦る取引先。
“正しさ”だけでは消せない火に、直人は言い方と居方で向き合えるか。
——感情の現場対応に挑む。